ある日買い物に出たまま行方不明に その2
家族や親戚の方からの聞き取りで家出を窺わせる動機がまったくないため、まずは交通事故や犯罪に巻き込まれ、その上で拉致にあったという可能性を考慮して、その事実関係を明らかにする調査を行うことにしました。
それは、Aさんの自宅を中心とした半径1kmの範囲内を調査員4名が2人1組で徹底的な聞き込みを行い、同時にAさんの自宅のあるO市とその周辺市町村のスーパーなどに協力していただき、行方探しのポスターを掲示するというものでした。
仮にB子さんが交通事故に遭い、加害者がその証拠隠滅を図って奥様を拉致していた場合、その現場を目撃した人物がいたとしても、目撃者は加害者が被害者を病院へ搬送していると思い込むケースも多く、新聞などで報道されない限り、目撃者が不審を感じることもありません。その情報が表面に出てこないため、徹底した聞き込みを行いました。
が、幸か不幸か交通事故の目撃情報は調査開始後10日が過ぎても全くありませんでした。この結果を受け、当社では再度家族の方に協議の場を設けて頂きました。
ひとまず、事件の可能性が薄れたことを報告し、そして、動機は分からないものの自らの意志による家出という可能性が高くなったことで、この失踪を家出と仮定した上で改めて家族に原因を検討してもらいました。すると家族全員それぞれが、自分に原因があったかもしれないと切り出してきたのです。
3人の子どもたちは「最近、お母さんとは余り会話をしていない」、夫のAさんは自営業のため忙しい毎日で家のことは妻に任せきりにしており、「悩んでいる素振りを見せなかったため、彼女への配慮が足りなかった」とそれぞれ打ち明けました。
そして、姑は「3年前に夫を亡くしてから、一切の家事はあの人にまかせていたので、私が楽をしていた分あの人が人一倍気を使っていたのかもしれない」と振り返りました。
B子さんが家庭内で孤独な状況にあったことがはっきりしてきましたが、それだけで家出と結びつけるのは早計です。とはいえ、孤独が家出の一因となった可能性はあるため、エリアを広げさらに行方調査を行うことにしました。
しかし、懸命の調査にも関わらず進展もなく2ヶ月が経過してしまい、いったん調査を完了し、新しい情報が得られた際に改めて調査を再開することになりました。
それから数ヶ月が経過した12月。当社へAさんから電話がかかってきました。
「警察から連絡があり、大阪で妻が見つかった」
という嬉しい知らせでした。
発見は、大阪駅近くの地下街で呆然として通路の壁にもたれかかっていたB子さんを不審に思った警察官が職務質問をしたのがきっかけでした。身元確認のためにAさんに電話を掛けてきたのでした。B子さんの居場所は聴取してあるとのことで、B子さんと再会すべくAさん家族と一緒に我々も大阪へ同行することになりました。
大阪・梅田にある警察署でB子さんの根城にしている場所の情報を聞き、二手に分かれて探し始めること5時間余り、大阪労働者支援センターに佇んでいたB子さんを発見しました。B子さんの名を呼び、問い掛けるとB子さんは素直にうなづき、家族も来ているのかと逆に尋ねられました。
B子さんが家を出てから半年余り。元気な素振りはされていましたが、ふくよかだった体型はぐっとスリムになり、顔も頬がこけて窪んでいました。その後、発見の連絡を受けたAさんの家族もその場に駆けつけ、涙の再会となりました。
B子さんは
「警察から解放された後、必ず家族が迎えに来るであろうことは予感していた。そしてそのとき、家出をしてから初めて『家に帰ろうかな』という気持ちが芽生えてきた」
と言葉少なに語られていました。
そして、B子さんの家出はやはり計画的なものでした。
B子さんは家出前日に最寄駅のコインロッカーに手荷物を予め預けておき、当日はへそくりを預けた都市銀行のキャッシュカード(預金高約50万円)を持ち、普段どおりの買い物を装って家を出たとのことでした。
何かを書き残そうと思って何度も家族宛ての文章を書いたらしいのですが、気持ちをうまく文章にすることができず、結局書置きも残さず家を出ることにしたそうです。B子さんはO市を出たあと、8月いっぱいは涼しい信州を中心に旅をし、その後は鈍行列車で新潟・秋田・青森とまわったところで秋も深まり寒くなってしまったので、南下を始め、大阪に着いたところでお金が底をついてしまったそうです。
頼るあてもなく、大阪駅を出て公園のベンチに座っていたときに声を掛けてくれたのが、公園でテント生活をしているK子さんでした。K子さんはB子さんから事情を聞くと「気持ちが落ち着くまで私のところに居たらいい。」と言い、その後も何かにつけてB子さんの面倒をみてくれたそうです。
ようやく家族との再会を果たしたB子さんでしたが、すぐには気持ちの整理がつかないため、暫くの間は大阪にとどまることとなりました。そんなB子さんを帰宅するよう説得し続けたのがそのK子さんでした。年が明けた1月10日、約半年振りにB子さんがようやくわが家に帰ってきました。
それから約1ヶ月が経過したころ、Aさんから当社へ連絡がありました。
Aさんは言葉を選びながら我々に家出の原因を話されました。
「彼女が悩んでいた原因はいろいろあるのだけど、主な原因は母との人間関係に疲れたこと、そして私との会話がなくなっていたことにつきるようです…」
家庭を妻に任せて安心しきっていたAさんは、妻との心の絆をなくしていたことに気付き、改めて過去の自分を反省されていました。
さて、B子さんですが、以前とは打って変わって物事に拘らない大らかな性格へと変わったそうです。大阪でお世話になったK子さんへはホットラインとして携帯電話を贈り、現在もいろいろと精神的に助けてもらっているそうで、何かあるとすぐに「家出して大阪に一年位里帰りしてくる!」と言い、家族を戦々恐々とさせているそうです。
それは、Aさんの自宅を中心とした半径1kmの範囲内を調査員4名が2人1組で徹底的な聞き込みを行い、同時にAさんの自宅のあるO市とその周辺市町村のスーパーなどに協力していただき、行方探しのポスターを掲示するというものでした。
仮にB子さんが交通事故に遭い、加害者がその証拠隠滅を図って奥様を拉致していた場合、その現場を目撃した人物がいたとしても、目撃者は加害者が被害者を病院へ搬送していると思い込むケースも多く、新聞などで報道されない限り、目撃者が不審を感じることもありません。その情報が表面に出てこないため、徹底した聞き込みを行いました。
が、幸か不幸か交通事故の目撃情報は調査開始後10日が過ぎても全くありませんでした。この結果を受け、当社では再度家族の方に協議の場を設けて頂きました。
ひとまず、事件の可能性が薄れたことを報告し、そして、動機は分からないものの自らの意志による家出という可能性が高くなったことで、この失踪を家出と仮定した上で改めて家族に原因を検討してもらいました。すると家族全員それぞれが、自分に原因があったかもしれないと切り出してきたのです。
3人の子どもたちは「最近、お母さんとは余り会話をしていない」、夫のAさんは自営業のため忙しい毎日で家のことは妻に任せきりにしており、「悩んでいる素振りを見せなかったため、彼女への配慮が足りなかった」とそれぞれ打ち明けました。
そして、姑は「3年前に夫を亡くしてから、一切の家事はあの人にまかせていたので、私が楽をしていた分あの人が人一倍気を使っていたのかもしれない」と振り返りました。
B子さんが家庭内で孤独な状況にあったことがはっきりしてきましたが、それだけで家出と結びつけるのは早計です。とはいえ、孤独が家出の一因となった可能性はあるため、エリアを広げさらに行方調査を行うことにしました。
しかし、懸命の調査にも関わらず進展もなく2ヶ月が経過してしまい、いったん調査を完了し、新しい情報が得られた際に改めて調査を再開することになりました。
それから数ヶ月が経過した12月。当社へAさんから電話がかかってきました。
「警察から連絡があり、大阪で妻が見つかった」
という嬉しい知らせでした。
発見は、大阪駅近くの地下街で呆然として通路の壁にもたれかかっていたB子さんを不審に思った警察官が職務質問をしたのがきっかけでした。身元確認のためにAさんに電話を掛けてきたのでした。B子さんの居場所は聴取してあるとのことで、B子さんと再会すべくAさん家族と一緒に我々も大阪へ同行することになりました。
大阪・梅田にある警察署でB子さんの根城にしている場所の情報を聞き、二手に分かれて探し始めること5時間余り、大阪労働者支援センターに佇んでいたB子さんを発見しました。B子さんの名を呼び、問い掛けるとB子さんは素直にうなづき、家族も来ているのかと逆に尋ねられました。
B子さんが家を出てから半年余り。元気な素振りはされていましたが、ふくよかだった体型はぐっとスリムになり、顔も頬がこけて窪んでいました。その後、発見の連絡を受けたAさんの家族もその場に駆けつけ、涙の再会となりました。
B子さんは
「警察から解放された後、必ず家族が迎えに来るであろうことは予感していた。そしてそのとき、家出をしてから初めて『家に帰ろうかな』という気持ちが芽生えてきた」
と言葉少なに語られていました。
そして、B子さんの家出はやはり計画的なものでした。
B子さんは家出前日に最寄駅のコインロッカーに手荷物を予め預けておき、当日はへそくりを預けた都市銀行のキャッシュカード(預金高約50万円)を持ち、普段どおりの買い物を装って家を出たとのことでした。
何かを書き残そうと思って何度も家族宛ての文章を書いたらしいのですが、気持ちをうまく文章にすることができず、結局書置きも残さず家を出ることにしたそうです。B子さんはO市を出たあと、8月いっぱいは涼しい信州を中心に旅をし、その後は鈍行列車で新潟・秋田・青森とまわったところで秋も深まり寒くなってしまったので、南下を始め、大阪に着いたところでお金が底をついてしまったそうです。
頼るあてもなく、大阪駅を出て公園のベンチに座っていたときに声を掛けてくれたのが、公園でテント生活をしているK子さんでした。K子さんはB子さんから事情を聞くと「気持ちが落ち着くまで私のところに居たらいい。」と言い、その後も何かにつけてB子さんの面倒をみてくれたそうです。
ようやく家族との再会を果たしたB子さんでしたが、すぐには気持ちの整理がつかないため、暫くの間は大阪にとどまることとなりました。そんなB子さんを帰宅するよう説得し続けたのがそのK子さんでした。年が明けた1月10日、約半年振りにB子さんがようやくわが家に帰ってきました。
それから約1ヶ月が経過したころ、Aさんから当社へ連絡がありました。
Aさんは言葉を選びながら我々に家出の原因を話されました。
「彼女が悩んでいた原因はいろいろあるのだけど、主な原因は母との人間関係に疲れたこと、そして私との会話がなくなっていたことにつきるようです…」
家庭を妻に任せて安心しきっていたAさんは、妻との心の絆をなくしていたことに気付き、改めて過去の自分を反省されていました。
さて、B子さんですが、以前とは打って変わって物事に拘らない大らかな性格へと変わったそうです。大阪でお世話になったK子さんへはホットラインとして携帯電話を贈り、現在もいろいろと精神的に助けてもらっているそうで、何かあるとすぐに「家出して大阪に一年位里帰りしてくる!」と言い、家族を戦々恐々とさせているそうです。
